クラシック音楽に望むこと

今風の演奏の誕生

今から30年以上前、クラシック音楽のレコード業界にリッカルド・ムーティが現れた。

この人を最初に聴いたときはチャイコフスキーの交響曲第4番であった。

その第3楽章が終わってからの第4楽章は、心臓が止まるかど思うほど誰もがびっくるするような驚愕的なアタックの出だしであった。

ムーティは第4楽章の出だしを鮮やかすぎるほどにまとめ上げたのだった。
テンポは速めで淡々とした感じ。

今思えば、ムーティは緻密な現代風の指揮ぶりをしたのである。

昔の演奏スタイル

これに対して、同じ時代のレコードでチャイコフスキーの公共教区第4番をユージン・オーマンディがやると、全く違っていた。

第一楽章からして、今からでは考えられないくらい遅いのである。
しかし、その遅さがドラマティックさを生んでいた。

オーマンディは最終楽章まで遅めのテンポでドラマティックに指揮をした。
この遅いながらも気持ちの込められた演奏が誰の胸をも打ったのである。

伝わる音楽

最近、イタリアの歌手達が口々にこんな話をしていたという。
オペラをつまらなくしたのはムーティだ。

歌手達には密かな楽しみがあった。
楽譜に書いてある高音部をどうやって出すのかを皆で楽しみにしているのである。

それは、ヴァイオリンに例えれば、オイストラフの弾き方を楽しみにしていたのと似ている。

低い弦でもフレーズのつながりでは短く持って高い音を弾きまくるというような感じだ。

それは、非常に気持ちがダイレクトに伝わりやすいものとなる。

こんな話をすると、ジャズ好きの人から「ルイ・アームストロングを現代に待ち望んでも、時代が違うから無理なんだよ。」などと言われてしまいそうだ。

心の奥から感動し、それを届けようと全霊を傾けて伝えた人は現代では稀である。

私がアマチュア・オーケストラをたまに聴きに行くのは、実は一生懸命に伝えようとしている人たちを探しに行っている気がする。

そんなアマチュアにも原石がなかなか見いだせないのはインターネット社会の一端なのかもしれない。

時代が違えば真の音楽は終わってしまうのだろうか?
いや、時代は生き物だ。

素晴らしい芸術の時代が生まれることを強く望みたい。

コメントする